2013年10月9日水曜日

MoEに至るプロセス - PCの利用からバッファ理論へ


PCへ


  • 京大カード→PoIC

というプロセスを経て、やはりカードは無理だと思い、PCに移ることになった。そのときに考えていたのは、「PC特有の機能によって、死蔵という問題も解消されるのではないか」ということである。

例えば何か調べ物をしたい場合、Googleで適当な検索語を入れれば、自分に必要な情報が乗ってそうなリンクがずらっと並び、そこからいくつか開けばたいていの場合解決する。
はてなやwikiを読んでてよくわからない言葉があれば、その語のリンクをたどればその説明を見ることができ、自分にとって不明であることがすぐに明らかになる。
ニコニコ動画で興味のある動画に出会ったら、それにつけられているタグをクリックすれば関連する動画が羅列して表示される。

このように、ネットにおいてはデータが無数にあったとしても、それから自分にとって有用である情報をPC特有の機能でもって取得する方法が存在する。これを応用すれば、カードで試行錯誤していた「情報が増えることによるカオス化」など、容易に解決するのではないか、と思ったのだ。


カードをPCで再現する



カードでやってたことをPCで再現するなら、それはテキストファイルをため、それでできたデータベースに対して何らかの処理をする、ということになる。このときのデータがソフトに依存するようなものであった場合、あとで利用できなくなるおそれがあるからだ。
このテキストファイルに対してPC特有の機能を用いて、カードだと克服できなかった死蔵という問題を解決することになるのだが、それを実現する以前の段階として、カードで実現してたことをPCで再現することが必要になる。*1一見簡単そうなのだが、わりと難しい。

カードの「くる」を再現


カードにおいては、それを「くる」という操作を行っていた。この操作は、カードボックスにたまったカードのタイトルだけを見て関係するものを見つけ出す方法と、カードをめくっていってその本文をざっと見ることで、その内容を把握することで関係するものを見つけ出す方法の二つからなっている。
このことをPCで実現するために必要になるのは

  • タイトル一覧表示
  • 連動ビュー

の二つである。
「カードのタイトルを見る」に対応するのが、タイトル一覧表示である。一つのフォルダにメモファイルが入っているとすれば、そのタイトルが一覧表示される仕組みがあればいい。(デジタル知的生産術の急所-タイトルをどう実装するか
「カードの中身をざっと見る」に対応するのが連動ビューである。Windowsでは、通常ファイルの中身は表示されない。だが、いちいちそれをエディタで開いて、ということをして確認するのでは手間がかかりすぎる。ということで連動ビュー、つまりそのファイルにカーソルをあわせれば中身を表示してくれる機能が必要になる。

これについては、TextTree+ViewLinesだったり、howmだったり、PPx+スクリプトだったり、いくつかの方法がある。
これにより、カードで実現していた「最近のをざっとみて関係するのを抜き出す」は実現できる。次に問題になるのは、「データベース全体から関係するものを抜き出す」である。これの追求で立ち止まる。

PCの機能による関連メモの並列


  • Grepの利用
  • 関係するファイルに共通のタグを入れる
  • メモデータ本体とは別に情報管理

の三つの方法がある。*2

まずGrepだが、この方法で自分が今知りたいテーマについての情報を並列するのは難しい。そもそもテーマに関係する単語というのが存在するのかという問題がまずある。また、たとえあったとしてもそれによってアイデアメモの内から関連するものをすべて拾える保証というのがない。そして、この方法だとどうしても関係するメモ以外がヒットし、ノイズが大きくなる。
これは、Googleで何か調べものをするときの方法論からの類推である。何かを調べようというとき、それに関係していそうな単語で検索する。すると、いくつかのサイトがヒットするので、それをいくつか開きその情報を探すという具合だ。
だが、ここで検索するのはアイデアであり、それがGoogleの場合と大きく異なっている。Googleでヒットするのは情報としては完成したものであり、知りたい情報が載っている可能性もある。しかしアイデアメモというのはそれ以前の段階であり、これをいくつか集めてそれで初めて答えが出る、という性質のものである。だから、Grepによって自分の求める情報が手に入る可能性は低い。
また、アイデア発生装置としても期待できない。これは京大カードがこの用途に使えなかったのと同じ理由による。

次にファイル名をキーにする方法について。この場合、ファイル検索でヒットするように、次のようにタグをつけることになる。

【タグ】ファイル名.txt

重要度をスターなどで表す場合も原理的にはこれと同じであり、例えばファイル名に特別な記号をつけたりする。このようにして共通の語がファイル名に入るようにし、その語でファイル名検索をすれば関連するファイルが一覧表示されることになる。

ファイル名☆☆☆.txt

このときの問題点の一つ目は、持続性を持つタグをつけることができない、ということである。何かを思いついてアイデアメモを書いたとしても、それを思いついた当初はそれがなにについてのアイデアか、というカテゴライズなどできていない場合が大半である。だからどうしても、おおざっぱな区分か、あるいはそのときにたまたま思いついたタグを付けることになる。
おおざっぱなタグというのはおおざっぱゆえに役に立たない。そのときどきの問題関心は移り変わる故に、同じカテゴリーであっても関係のないものが含まれることになるからである。またずっと持続するような区分というのを見いだすのが難しい。タグの数を制限するだとか、タグ一覧を目にとまりやすい場所に貼っておくだとかいろいろしたが、結局は機能しなかった。
そのときに思いついたタグというのは、次にそれに関係するアイデアを思いつきメモにしたとしても、以前のタグを思い出せずやはりそのときたまたま思いついた別のタグを付けてしまう、という理由で役に立たない。
また、タグを付けても重要度での区別をつけることもできないという問題もある。あるメモを編集してその精度をあげても、タグを利用して表示するときには他の雑多な適当なメモと並列して表示され埋もれてしまう。同じタグを持つファイルが増えれば増えるほどこれは顕著になる。結局、カードボックスで有益なカードが他のカードが増えることで死んだのと同じように、同じタグを持つファイルの中で死んでしまうことになる。

「メモデータ本体とは別に情報管理」だが、これは覚えらんない人が紹介していた方法(文具としてのコンピュータを考える(2)-メモ(情報カード) - 覚えらんない人のためのオンラインソフト備忘録)。カード型データベースソフトを使い、一つのデータに対し一つの蔵書カードを作成。検索その他はこの蔵書カードを利用して行う。気になって調べはしたが、適当なカード型データベースソフトを探しても見つからなかったという理由であきらめる。

そして破綻へ


結局、メモをデータベース化してPC特有の機能で操作する、という試みは破綻した。
結果、最近のメモのみを一覧表示と連動ビューで表示し、関係するメモをいくつか見比べて、という操作のみが残ることになった。これは、最近作成した以前のメモというのはあってもなくてもいい、そこにかけた労力が無駄な死蔵したものになることを意味する。カードで行っていたのと同じことが起きたわけだ。そして、最近のデータのみを扱うのであれば、入力の手間その他を考えれば、カードでやってたのと比べどちらが効率がいいかというと微妙な問題である。


野口のバッファー理論


フローを扱う


PCに特有の機能を使っても問題は解決しない。やはり死蔵し、膨大にアイデアメモをためたとしてもそれを有効に使う方法はない。
これを突破するきっかけになったのが、野口のバッファー理論だった。これは、野口悠紀雄『「超」整理法〈3〉』において出てくる概念である。

知的生産活動で扱うデータは、決まりきった仕方では処理できない、という特性を持っている。それは、最初はどのカテゴリーに入るかも不明で、重要度も分からない。同じデータといっても取り扱うべき対象は様々である。そしてそれを扱う方法にも先例もモデルも無い場合が多く、決まりきった仕方で処理するということができない。
このような性質を持つデータに対しては、先例もモデルもある、処理が確立されているような定型的な仕事でとられてきた仕方では処理ができない。今までとは異なる発想に基づく処理システムを用意し、そこで処理すべきである。このような考えをする。
まず、対象がフロー(流れ)であることを明確に意識する必要がある。必要とされるのは、膨大な量のフローを制御するダイナミック(動的)な方法である。一定量のストック(蓄積)を管理するスタティック(静的)な対処法ではない。
これは自明のことである。しかし、従来の収納システムは、「内容がほぼ変わらないストックのための管理」のためのものだ。「大量のものが流入し、ストックの内容が短期間のうちに入れ替わってしまう」という認識は、殆どないのである。(野口悠紀雄『「超」整理法〈3〉』P21)

ではどう処理すべきかというと、「とりあえずおいておく場所(バッファー)」を用意し、そこに分類せずにデータを入れる。ある程度の時間がたてば、そこに放り込まれたデータは自然に醸成して区分とかもわかってくるから、そのときになって初めて処理をすればいい。

マゼラン的な仕事を扱うには、マニュアル遵守的な仕事とは異なる発想にもとづいて、処理システムを構築する必要がある。
とくに重要なのは、「バッファー」(buffer)だ。これは、「緩衝器」、つまり二つのもの、あるいは二つのプロセスの中間にあって、衝撃を受け止めるための装置である。
まず、外から入ってきたものや新しく作ったものを、簡単な手続きによって(できれば、殆ど手間をかけずに)、システムの中に受け入れる必要がある。整然とした収納でなくともよい。しかし、書類が紛失したり迷子になったりすることはないようにする。つまり、「とりあえず受け入れる」のである。これが、「受け入れバッファー」だ。
そして、不要と思われるものを必要なものから区分し、所要の措置や加工などを行い、次の段階に送る。
この際、確立された処理法はないのだから、本当に正しい処理をしたかどうかは分からない。やり直す必要があるかもしれない。そのため、完全でなくともよいから、一応の措置をする。一〇〇%処理を目論んで何もしないのではなく、とにかく一歩進める。「ゼロか完璧か」でなく、八割の処理をするのだ。これは、単なる先送りとは違う。「もっとも重要と思われること」は、行っておくのである。
そして、「多分必要ないだろう」と思われるものを、日常の仕事のジャマにならないようなところに置く。つまり「とりあえず捨てておく」のである。これが、「廃棄バッファー」だ。(野口悠紀雄『「超」整理法〈3〉』p41)

バッファーによる解決


知的生産関係のデータを扱うときに問題になるのは、それが処理しきれなくなるほどたまり、古いデータがノイズとなって全体が機能しなくなることである。そこで、バッファーを作り、時間の経過で勝手に洗練されることを利用して、常に有用な情報が取得できる状態を保つのだ。

  1. 最初は区分せず、とりあえずおく場所を用意してなんでもそこに放り込んでいく
  2. 半自動的にそれが保てるシステムを構築する

この二点を実現すれば、不定型なデータの処理が可能になる。これまで対処できなかったのは、不適当なシステムを使って処理していたからなのである。
従来の整理法では、情報をストックとして扱っている。つまり、将来に向かって価値が減少することを重視していない。したがって、「いかに保存するか」に重点があり、「いかに捨てるか」は、副次的なこととしか考えられていない。
情報が比較的少ない時代には、こうした考えが妥当したかもしれない。しかし、現代のように情報が増えてくると、基本的な考えを転換する必要がある。つまり、情報とは生まれ消えるものであり、一定の寿命を持ったフロー量である、と捉える必要があるのだ。
(野口悠紀雄『「超」整理法』P8)

データベースからバッファーへ


我々が蓄積したアイデアをうまく利用できなかったのは、データベースの規模の問題でも、データベースをうまく運用する方法に通じていないからでもない。そもそもの、データベースを作るという発想から間違っていたのだ。
個々のものの重要性がはじめからわかっており、区別がすでになされているようなものであればデータベースを築くことは有効だろう。そしてそれは、規模を増していけばそれだけ有用なものになるだろう。web上にある情報をGoogleなりwikiなりの機能を追求すれば、データが増大しても破綻しないシステムを構築することは可能だろう。

だが、アイデアのように、日々陳腐化し、重要度の区別などつけようがなく、最初から区分のしようがないデータを大量にためることには意味がないのである。それをもとにしてデータベースを築いたとしても、それは個々バラバラのスピードで陳腐化していく。それはだんだんとカオスで使いものにならないものになり、このこと自体はデータベースから有用なデータを抜き取る機能を追求しても解消されない。それよりは、バッファが半自動的に洗練され、不要なものが削ぎ落とされ、常に自身にとって有益な情報がある状態を保ち続けることが重要なのである。

バッファ理論の特徴


つまり、バッファ理論の特徴は以下の点にある。
  1. アイデアメモをためる先は、データベースではなくバッファである。それは時間の経過とともに陳腐化するから、常に自分にとって有用なものに更新する必要がある
  2. これは時系列を利用することで半自動的に可能になる
発想としてはPoICのタスクフォースと似ている。このタスクフォースとバッファ理論をPC上で実現しよう、と考えたことがMoEの基礎になっている。

MoEの原型


データベースを作る必要はない。だからメモが不要であればそれは捨ててしまってもかまわない。自由に組み替え、原本を改変しても全くかまわない。それでもいいから、とにかくずっと、全体が有用であり続ける状態をつくれ。

この発想を元にして、MoEの原型はできあがった。
必要なのは以下のことである。

1.メモの受け入れバッファーをはじめから用意する。これは、分類だとか重要度だとかそういったことをいっさい気にせず、放り込める場所にする

→これは実際は、これまでカード法の時点から実施してきたことである。そこでは基本的に、分類をせずつっこんできた。梅棹の意図したところは、「何でもつっこまれている状態であればくるときにそれだけ有効になる」と少し意味合いが違っているが、これは受け入れバッファーとしての役割をすでに果たしている。
ただ、そこでしていた、「質の高いもののみメモとして含める」「タグを打つ」といった、それがカオスになることを防ぐためにとっていた方法はしなくてもいいことになる。この時点では、なにも考えずメモを作れることが第一であるのだ。

2.それが秩序を保った状態を維持する

→これは、「そこから関連するもののみを取り出す」という仕方で維持を図る。PCで言えば、それを別フォルダに移動することをすればいい。
関係するファイルを探し、一つの箇所にまとめる過程がそのまま秩序を保つことにつながる。また、この過程は一度にやる必要性もない。関連するファイルをある程度までまとめて移動したあとでも、それを中断して後日続きをするというのは可能である。これはカードを使った方法ではできないことである。

また、同時に廃棄バッファーをあらかじめ用意しておき、そこに不要なものはすべて移動するようにする。こうすることによって、それらは一旦は目の前から消えることになり、受け入れバッファーのノイズが減ることになる。また、たとえそこに捨てたとしても、がんばれば(Grepなりなんなりを利用して)元に戻すことも可能である。ただ、今のHDDの容量からすればテキストメモの容量など微々たるものであるから、実際にこのフォルダにあるファイルを削除する必要はないだろう。
「とりあえず捨てる」ためのバッファーは、つぎの二つの条件を満たしていなければならない。
(1)目の前からは消えていること。
(2)しかし、必要になれば取り戻すことのできること。(野口悠紀雄『「超」整理法〈3〉』p55)

時間軸という観点から


これが利用しているのは、「時間がたてば書き出したメモも醸成され意味がわかってくる」という原理である。

人間はそのときどきでいろいろな問題に取り組んでいる。それは突発的なものであったり、あるいはずっとかかえているものであったりするだろう。それについての思いつき、対処法、方針、総括、感想といったものが、そのときどきにたまたま経験することをきっかけにして、無秩序にひらめく。ただ、それがどのような問題に関してのものなのか、といった全体的な見通しについては保たないままランダムに生じる。そうして、そのときにたまたま思いついたことを元にして何かの行為をし、それがたまたま失敗するか成功するかして、またそれについて忘却し、また同じ思いつきをしてというように、同じところをくるくると回るのである。
記憶があてにならないという事実も、「発見の手帳」をつかっているうちに、うかびあがってきた一つの「発見」であった。わたしは、自分自身の発見や着想をも、すぐにわすれてしまうのである。その証拠に、わたしの「発見の手帳」をよみかえしてみると、まったくおなじ内容の「大発見」がしばしばあらわれてくる。まえに一ぺん「発見」したことをわすれてしまって、またおなじことを「発見」してしまうのだ。
しかし、とにかくもそれが記録にとどめてあったことによって、無意味な二重発見をチェックすることもできるのである。もしこれが、なんにもかいてなかったら、わたしは毎日大発見をしたような気になっても、じっさいのわたしの知的活動の内容は、何年もまえとおなじところで足ぶみしているのかもしれないのだ。かいておきさえすれば、まえの発見が、つぎの発見のためのふみ石になって、しだいに巨大な構築物にまでつみあげることも可能なはずである。(梅棹忠夫『知的生産の技術』P27)

そこで、それをメモとして蓄積する。それ自体は、はじめは単体としてみればたいして価値のないものだろう。そうすれば、それが蓄積しそれを眺めたならば、それがどのような問題意識からきたものなのか、そしてそれについてどのような方針を思いついたのか、それは適当なものなのか、ということの判断というのがだんだんとついてくる。そこで、それを元にしてその関係するものを取り出し、整理をつけて、実際の行動に反映させ、思いつきでやっていたよりもより適切な行為をする。我々は現実において様々な問題に出会い、そのときどきでなんらかの対処をする。そのような実際の流れとは別に、それらを一旦、メモ群という別の場所にとりあえずおいておき、寝かせて、それを再び現実に反映させる。リアルの流れとはまた別の時間の流れというのを、別の場所に平行して作り出すのである。

何か思いついたことがあれば、とりあえずそれをメモにして受け入れバッファーに放り込む。そうしてあとは時間がたつのを待ち、適当に時間が過ぎて受け入れバッファーを見て、なんかこれ関係してそうだなというのがあればそれをまとめて操作をする。時間がたちすぎてもはや問題そのものが消滅し、アイデアの価値がなくなっていると判断したものについては、それを廃棄バッファーに捨てればいいだろう。受け入れバッファーのなかでもより古いファイルがそれに該当する可能性が高いので、見分けるのもそれほどは難しくないはずだ。

PCにバッファ理論を応用


メモをためるというだけなら、PCでやろうとカードでやろうと大差はない。しかし、それを編集し、移動し、活用するとった自由な操作をメモ単位で行おうとすれば、アナログなカードよりもPCのデータのほうがより適している。PCの利点はGrepだとかにあるのではない。メモという単位でデータを扱うのがより柔軟になる、ということにあるのである。

実際のシステムは次のようになる。

フォルダ構造とバッファ


まず受け入れバッファー用のフォルダを作る。テキストメモは、とりあえずここに保存する。
ついで、廃棄バッファー用のフォルダを用意する。これは、不要になったファイルを適当に移動するためのフォルダである。

また、カテゴリーフォルダを用意し、受け入れバッファーからメモを取り出して操作する際にはこのサブフォルダを使って行うようにする。このフォルダ内で編集その他の操作をし、不要になったと判断したメモは廃棄フォルダに移動する。

こうして
  1. 受け入れバッファー用のフォルダ
  2. カテゴリーフォルダ
  3. 廃棄バッファー用のフォルダ
の三つを作ればいいということになる。

ファイル移動による秩序の維持


再生産をする際には、受け入れバッファーから適宜、一覧ビューとタイトル表示を利用して、関連するファイルをカテゴリーフォルダに移動する。そして移動先で、編集なりなんなりの操作を行う。
これは同時に、受け入れバッファー内の秩序を保つ過程でもある。

以上の操作は、ファイラを用いてするべき範疇に入る。こうして、「ファイラを起点にして運用する」というように、PCを用いたメモの方法論の性質が定まることになる。

*1:このときは選択肢として以下のようなソフトがあった
  • howm
  • アウトラインプロセッサ
  • ChangeLog
  • 紙copi

*2:このときに利用していたソフト
  • Getia
  • xyzzyのGrep
  • VxEditorのGrep
  • DesktopHE
  • fenrir

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